伊那谷は天竜川に沿って南北に伸びる日本一大きな谷。
伊那市田原区は、南アルプスと中央アルプスを望むこの広大な谷の中に位置しています。
山から流れるミネラル豊富な水、年間を通して降り注ぐ太陽、谷を吹き抜ける澄んだ空気。
自然の恵みをたっぷり受けて育つ農産物には、旨味がぎゅっと凝縮されています。
田原の農産物はたくさんの太陽の光を浴びて育ちます。田原区は日照時間が長く、日射量も多く、さらに晴天率も高いのです。充分な太陽を浴びることで、農産物は光合成が活発になり、糖などの栄養をたくさん作ります。糖が多くなると、甘みや旨みが強くなります。また、降水量が少ないことで、病気や害虫による品質低下や収量減少を防ぐことができます。
水は農産物の生命を支える大切な要素。水の種類や量は、農産物の出来に影響を与えます。田原区には南アルプスに源を発する三峰川が流れ、この水には石灰岩質から浸み出たミネラル分がたっぷり含まれています。信州大学農学部の分析結果では、リン、ケイ素、カルシウム、鉄、亜鉛、カリウム、マグネシウムなどのミネラルを豊富に含んでいることが分かっています。
1日の昼夜の気温差や年間での夏と冬の気温差が大きいほど、農産物はおいしくなると言われています。植物は気温が高いと光合成が活発になり、糖などの栄養をたくさん作ります。気温が低いと栄養の消費量が抑えられ、農産物に甘みや旨みが蓄えられるのです。田原区は日較差・年較差ともに大きく、おいしい農産物を作るのにうってつけの環境といえます。
自然に恵まれ、かつては街道の交差点だった伊那では、多彩な食文化が育まれてきました。
手作りみそや地元産の野菜を使った漬物、また、馬肉やかつては貴重なたんぱく源だったざざむしや蜂の子の田舎炊など、
伊那ならではの食材や料理がたくさんあります。田原のおいしいお米と一緒にお楽しみください。
伊那で取れたダイコン、キュウリ、シマウリを地元産のみそで漬けた100%伊那市産の漬物。コクのあるみその味付けにご飯が進みます。
伊那市の高遠で栽培されたシマウリを地酒の酒粕で漬け込んだ一品。酒粕の風味がほどよく、パリパリッとした食感が絶妙です。酒粕を拭き取らずにそのまま食べてもおいしいです。
「天の恵みの野菜」という意味で名付けられた漬け物。使われているキュウリ、ニンジン、ダイコン、ナス、ゴボウなどの野菜は伊那市の長谷産が中心です。コリコリとした食感がよく、甘じょっぱい味わいでご飯のお供にぴったりです。
シロウリの中に刻んだ山ゴボウ、山ウド、ダイコン、ニンジン、キュウリ、ナス、ミョウガ、ショウガ、シソの実が入った漬け物。地元の醸造店によるこだわりのみそを使用し、素材に旨味がたっぷりと染み込んでいます。
羽広菜 (はびろな)は、上部が赤紫色をしたカブで、信州伝統野菜にも認定されています。根部はやわらかく甘みがあり、やさしい風味。酒粕とみそを使った伝承の漬け方で、独特な味わいがあります。
伊那産の雑穀アマランサスを皮や具に使用した、モチモチとした食感のご当地ギョウザ。地元信州みそを使ったみそだれにつけて食べるスタイルが特徴です。あったかご飯との相性も抜群です。
温かいご飯の上に、千切りキャベツを敷き、特製ソースをくぐらせたトンカツをのせた伊那名物のグルメ。サクッと揚がったカツと丼にたっぷり盛られたご飯でボリューム満点です。
太い蒸し中華めんにマトンやキャベツなどを加えた伊那市のご当地グルメ。市内では90軒を超えるお店で味わうことができ、定食としてご飯と一緒にも楽しめます。スーパーマーケットではインスタントや冷凍キットも販売されているほど地元で愛されているソウルフードです。
馬のモツ(腸)を使った伊那谷に伝わる伝統的な料理。馬のモツをしょう油やみそなどでじっくりと煮込んだもので、お酒のおつまみにもぴったりです。各家庭で味を伝えている郷土料理で、市内の多くの居酒屋でも味わうことができます。
信州では川魚を昔から甘露煮にしておかずとして食べる風習があり、郷土料理として根付いています。川魚を丸ごと食べられる甘露煮はカルシウムが豊富で、昔は貴重なたんぱく源でした。フナの甘露煮は、ほろ苦さがクセになる味わいです。
伊那谷は昆虫食の宝庫でもあり、かつては食料の少ない冬場に不可欠なたんぱく源として重宝されてきました。現在でも香ばしく風味豊かな珍味として地域の人々に愛されています。
南アルプスと中央アルプスの雄大な二つの山脈に抱かれ、天竜川や三峰川などの河川が流れる伊那市。
城趾や寺社など歴史文化資源も多くあり、長い間地域で受け継がれてきました。
そんな自然と歴史が息づく、伊那市の地域の自慢をご紹介します。
八ヶ岳連峰の赤岳を源とする天竜川は、中央アルプス(木曽山脈)と南アルプス(赤石山脈)の間を多くの支川を合わせながら流れ、諏訪湖を経て太平洋に注ぎます。竜神信仰から名付けられたというこの川は、標高3033メートルの仙丈ケ岳に源を発する三峰川と伊那市内で合流します。伊那市を代表するこの2つの川には多くのビュースポットがあり、四季折々の美しい情景が楽しめます。
八柱の神様が祭られているこの神社は、結婚、出産、新入学などの人生の節目に、地域の人が参拝に訪れます。境内にそびえ立つ大きなケヤキは樹齢約400年と言われる古木。このケヤキは天文年間(1535~1555年)、かつてこの地を領した殿島城の殿島大和守重国が、社殿を建立し境内に植樹したと口碑に伝わっています。6本のケヤキの巨樹は現在も残っており、風雪に耐えいくつものコブを抱えた貫禄のある姿がその歴史を物語っています。
「日本百名城」にも選ばれている国指定史跡は、春になると満開の桜を楽しみに多くの人が訪れます。その歴史は、南北朝時代の高遠氏に始まり、武田氏、毛利氏、京極氏、保科氏、鳥居氏、内藤氏と城主が変遷。1871年の廃藩置県で城が取り壊され、1875年に公園となりました。旧藩士たちの手で移植された桜は「天下第一の桜」として名高く、桜の日本三大名所の一つにもなっています。園内には高遠閣、無字の碑、新城藤原神社など、見どころも多くあります。
風光明媚な高遠の地、山室川沿いにある日蓮宗のお寺。その歴史は1205年までさかのぼります。元々は、平家の浪士・開阿弥によって、真言宗の旭泉寺として建立されたもので、1430年に日蓮宗に改宗されました。1444年に現在の地に移り、本学山・弘妙寺と改称されていまに至っています。本堂には天然のカラマツが使用されており、内陣の23人の肖像画家が油絵で描いた96枚の天井花鳥画は圧巻です。
伊那市富県にある縄文時代の遺跡で、当時使用された竪穴式住居が復元、展示されています。1966年にこの地の開田事業に先立って発掘調査が行われ、縄文時代中期中葉の住居跡5基、縄文時代中期後葉の住居跡11基、平安時代の住居跡3基、時代不明の住居跡4基が検出されました。この遺跡で出土した国の重要文化財「顔面付釣手形土器」は、伊那市考古資料館に展示されています。御殿場遺跡から望む中央アルプスの眺めは絶景です。
伊那市長谷と下伊那郡大鹿村との境に位置するこの峠は、かつては高遠藩に属し、秋葉神社へとつながる信仰の道「秋葉街道」としても利用されてきました。峠から北の方角に目を遣ると、直線的に浸食されてできた谷の眺望を見通すことができます。この峠は癒しのパワースポットとしても知られ、バスの乗降場から北側の谷へ降りて行った場所に設置された階段状の木製ベンチに腰掛けると、静かな自然の中でゆったりと過ごすことができます。